【史歴調査①】報告書 吉野ヶ里遺跡を霊査
- 一般財団法人エル財団

- 5月13日
- 読了時間: 24分
史歴調査 File1~3
収録日:2026年3月13日
収録場所:吉野ヶ里歴史公園
〒842-0035 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
主のお言葉
史歴調査 File1 吉野ヶ里地域を治めていた長(オサ)様
史歴調査 File2 卑弥呼様を霊査
史歴調査 File3 蛤岳の頂上に位置する蛤岩を調査
主のお言葉
内山 ここから日本の歴史を遡っていきたいと思っています。
どのようなことに心がけながら、やっていったらよろしいでしょうか?
主 だから全体的な歴史というものを調べようという意図でやっているわけでしょう?
なので、既存のね、知識・情報、そういったものにあまりとらわれず、オリジナルでね、探究するというつもりでやってください。
正確にね、取れるものがあるかどうか分かりませんけれどもね。ずいぶん昔の話だろうからね。
なので、分からなくても普通。というぐらいの気持ちでやったらいいと思います。
一般的に言われているような歴史の情報ね、あるいは知識といったものにね、あまりとらわれると分からなくなるんでね。いったんそれはもう脇へ置いてやるつもりでやってほしいと思いますね。
そんなところかな。
内山 分かりました。そうですね、そうではなかろうか、こうではなかろうかっていうところで歴史は編まれてますんで。昔のは特にですね。
分かりました。いったんそれは横に置いてやっていきたいと思います。
ありがとうございました。
史歴調査 File1佐賀 吉野ヶ里 長(オサ)様
霊人 うん。
内山 おいでいただきありがとうございます。
お名前を教えてください。
霊人 長(オサ)という。
内山 オサですね。要するにその町の長ですね。
長 うん。
内山 ありがとうございます。
今、吉野ヶ里に来てるんですけど、この吉野ヶ里の長(オサ)ということでよろしいですか?
長 うん。
内山 大体どのくらい前から…
私たちの時代から3千年とか、昔になるんでしょうか?
長 ゆうに3千年はたってると思う。
内山 ゆうに? もっと前からですね?
どのくらい前だったのか教えていただけますか?
長 まあ、私がいた頃には既にあったわけで、それより前からあったのだから、5千年くらいはたってるかもしれないね。
内山 5千年はですね。縄文時代っていわれる時代ですよね。
長 まあ、そうでしょう。
内山 それよりももっと前からあったんですね。それよりずっと前から。
長 前からあった。
内山 今ここにいろいろと土器が、土器っていいますかね、土の中に埋まった物を掘り返して、私たち今、歴史を学ぼうと思ってやってるんですけども。
様々な物が何に使われたのかほとんど分からないっていうのがあるんですけども。
最初に鈴の音っていいますかね、鐘みたいな形で音が鳴る銅鐸というのがあるんですけども、これはどのような時に使っておられたんですか?
長 うーん…。いろいろな使い方をした。
あれは、何かを知らせるために鳴らすということもあった。
これを叩いて使ったり、鐘のように吊るして使うこともあった。
そして、道の途中に両脇に大きな銅鐸を置いて、これより奥に入る者は、邪悪なる者は入れないという意味合いのものをもって置いてあるということもした。
それは少し大きなものであるけれども。
いろいろな使い方をしたんだ
内山 その時はぶら下げてたんですか? それとも下に置いて?
長 下に置いて。
内山 降魔のところになるんでしょうかね?
長 うーん。大きな目的としてはやはりそういうものであるし、小さいものは吊るすことによって、叩くなり、紐でこれを引っ張って音を鳴らすということをしていたので、半鐘の役割であったり、時を告げるものであったり、皆に集合をかける時などにも使う。
あるいは祭祀の時などにも使うことができると。
いろいろな使い方をしたのであるということだ。
内山 ありがとうございます。
それともう一つ、女性が使ったのか、ちょっと分かりませんけども、巴型の青銅がありまして。渦巻きふうになっているんですけれども、これはどのような時に使われたんでしょうか?
長 これは神事(かみごと)をする時に使った。
内山 神事(かみごと)。
長 うん。まあ、祈りであったり、儀式を行う時に使ったものであるし、一つには、この大和の国であるということの象徴として、その印として使うということはあった。
内山 大和の国の印ですね。
長 印として… 。
それが遠くから見ても分かるように、磨き込んで、鏡のように綺麗にして見せるという役割があって、この国が、ここにあるということを伝えるものであり、また、太陽の光を受けて、そしてそれを地に降ろすという時にも使う。
あるいは祭祀であるね。
祈りの時の道具として使う。
魔を下すという意味もある。
内山 といいますと、手で握るってことになってきますと、こう握りますんで左巻きに見えてたんですけど、右巻きの方なんでしょうかね。
反対側から見るって形ですね? 正式には。
長 こういうふうに巻いている。
内山 反対側ですね。はい、分かりました。ありがとうございます。
ほとんど私たちで分からないようなところで、遠くを見るんじゃなかろうかってことで、高見やぐら… みたいなのがあるんですけど、ああいった建物があったんでしょうか?
それとも 大きく広い建物だったんでしょうか?
長 いや そんなに広くはない。
しかし、ここに建っている程度のものはあったし、もっと高く建てたものもある。
内山 あ、もっと高く。
長 そしてそうだな、町として村として、広くそういうものを多く建てて、そこにただ立って見るだけではなく、そこで暮らしている者もいるし。
土の中に穴を掘って暮らしている者もいるし、それぞれ時代によって、多少これは変わっていくということになる。
内山 今のこの公園は少し高台にあるんですけども、下にも住宅があったんじゃないかと思うんですね、住まいが。
なかったんですかね?
長 あった、あった。
内山 ということは上の方はどっちかというと、長(オサ)がおられるような所だったんでしょうか?
長 そう。比較的位の高い者。
あるいはまあ、長者である金持ちであったり、豪族のような力を持っている者たちが比較的住んでいたし。
内山 下の方にはかなりの数おられたんですかね?
長 下人(げにん)という者たちがいて、
内山 ん?
長 下人。
内山 下人。はい。
長 まあ、下の者たち、そういった者たちは少し低い土地に住んでいた。
内山 なるほど。
上の方が溝が二重になってますけども、この溝は何の目的で二重の堀といいますか、造っておられるんでしょうか?
長 守りのため。
内山 守りですか。
人間からの守りですかね?
長 まあ、いろいろであるね。動物もあるし、人間もある。
これはもともと、そういったものはなかった
なかったんだが、ある頃からやはり襲撃を受ける、略奪というようなことが多く出てきた頃に「堀を造って周囲から守る」という意味合いが出始めた。
それで一重であったり二重であったり、いろいろに堀を造ったり、その他、目隠しのものを造ってみたりすることによって、外から守るという意味を持っている。
内山 後からの時代ですね。
私たちからするとちょっと…。
長 そう、後からの時代。
もともとは何もなく平たい所であったし、それでうまく、長らくは平和に暮らしていた。
しかし、やがてそういうことではない「戦いの知恵」というものが入ってきて、人の物を取るというような者たちも多く出てきた。
あるいは、女を寝取る。子どもを奪う。
そういったことまで起きたことによって、やはりそれを守らなければならないという必要性が出てきた。
内山 それはやはり外国からの、日本以外の所から来た者たちでしょうか?
長 元はそう、そこから始まった。
内山 元は始まったんですね。
それが考え方が広がっていったわけですね。
長 そうだ。
内山 3万年ほど前に、御祖神様が降りられて教えを説かれていると思いますけども、その長(オサ)の時代は、そういった神に対する考え方というのは、どのようなものがありましたでしょうか?
長 太陽神だね。
内山 太陽神。
天照様ですかね?
長 うん、うーん。
アマテラス…。
内山 …は、まだなかったんですかね?
太陽神。
長 まではなかった。太陽神だね。
内山 どんな感じだったでしょうか?
長 どんな感じ…?
内山 太陽を拝んで毎日を過ごすということですかね?
長 太陽そのものを、神として崇めていたということはもちろんあるのだが。
だんだんにそれが象徴するものを求め始め、そしてやがてそれが地上の人間に取って代わり、いろいろな象徴物というものをつくり始める。という流れになってきているということである。
それとそうだな、土地。
この場所ということが非常に大切であって、どこにそれを置いているのかと。
ひじりとしての場所というものを定めて、そこに鏡を置き、信仰の対象とする物を造り、そしてそこにはもう誰も入れない。というものを造り出した。
内山 神聖な場所ですね。
長 そう、それが神殿という形になっていったということである。
内山 当時も霊言といいますか、霊界からの言葉、神からの言葉をもらう女性というのが数多くおられたんじゃないかと思いますけども、そこのところはどのような形の生活をしておられたんでしょうか?
生活というか、言葉を降ろすといいますか…。
長 巫女のことか?
内山 巫女ですね、はい。
長 うん。
巫女はいた… 巫女。
内山 政を行うのに、巫女の言葉ってのは、どのような扱いを受けてたんでしょうか?
長 扱い?
これは、国のすべてを動かしていくための大事な言葉として扱われたので、その言葉によって、すべてのことが取り決められる。というぐらいのものであった。
もともとは米を作る稲作に始まり、その植える時期、刈り取る時期、こういったものを、お伺いを立てる。といったところから始まった。
そして夜、星々が出る時に、また祈りを行う。
この星に対しても、神のように扱っていたということである。
動かざる星。
これを知っていたということです。
内山 今でいう北極星ですね?
それを中心として、いろいろな星の…
ある場所によって、いろいろ決めてきたということですね?
長 そうだ。
内山 それと同時に、神様からの言葉も聞いてきたってことなんでしょうかね?
長 そうだ。
内山 巫女さんが大体中心という「言葉降ろし」ってところですね。
長 巫女が言葉を降ろし、そしてその言葉を聞いた者が翻訳というか、そういった仕事をしていた。
何の意味であるのかということを、民衆に分かりやすく説いて聞かせたということになる。
内山 それが長(オサ)の仕事ですかね?
長 うん。
内山 長(オサ)はそれをもって、皆さんを治めておられた。
長 そういうことだ。
内山 こういう集落というのは、あちこちあったと思うんですけども、ここが中心だったんでしょうか?
それともあちこち同じような所…。
長 まあ 大小いろいろあったので、ここは比較的大きく拓けていたということもあって、中心といえば中心でもあるが、更に広いエリアには、もっといろいろな所もあっただろうと思うので、ここだけが、一箇所だけが、というようなことは言いにくい。
内山 いろんな村を、全体を治めるような人もいましたか?
長 全体というと?
内山 例えばこの吉野ヶ里、それから今でいう、長崎とか福岡とか熊本とか、阿蘇の方ですね。
ああいった所にも大きな集落もあったんじゃ。
長 あった。うん。
あったが、互いにそれは交易はしていた。
交わりはないわけではなかったが、その全体を治める長(オサ)というものはなかなか存在はしていなかった。
初めのうちは。
しかし、そのうち人が行き来するようになって、いろんな情報が行き交うし、食べ物や作ったものなどの交流が始まることになったあたりから、だんだんと、その全体を治める「長」という者が出てきた。
それは時代が少し下ってからの話になる。
内山 分かりました。
富士王朝というのは、まだできてない頃ですね?
長 うーん。そうだなぁ。
内山 富士王朝も、もうなくなった頃かな?
そういったのも聞いておられないですね?
長 うん。
内山 ですけど、まあ、なんとなくみんなで調和を取っていた。
後の時代になって、よそからの侵略とかがあったという感じですかね?
長 うん。
内山 非常に平和な時代だったんでしょうか?
長 まあ、まだ平和な方だと思うが、その前がもっと平和であったので、もともと。
もう堀のなかった時代。
これは非常に平和な時代であったといえる。
内山 やはり稲作が中心だったんでしょうかね?
長 中心であった。
内山 その稲作というのは、黒稲とか赤稲とか、それとも今でいう白稲なんでしょうか?
長 米… 米の種類?
内山 米の種類。
長 うん、そうだ。
赤米というか、そういったものは作っていたし。
内山 白米もあったんですか?
長 白い米もあった。
内山 あった。
長 うん。
玄米… の形であった。
内山 あとはどうなんでしょうか、小麦とかあったんでしょうか?
長 ひえや粟とか、そういった物があった。
内山 その当時、麺類はあったんでしょうかね?
長 麺… 麵…?
内山 なかったでしょうか?
なんかこう、手で握って団子みたいに。
長 こう、平たく伸ばすものはあった。
内山 平たく伸ばして、それを細く切ってというのがありました?
長 そこまで細くはないだろう。
しかし、少し大きめのものであったと思う。
内山 ありがとうございます。
私たちはほとんど分かってないんですけども、その当時の卑弥呼様っていうのはそちらにおられたんでしょうか?
この吉野ヶ里…。
長 卑弥呼。うん、いた。
内山 いました?
巫女なんですけども。
長 うん。
内山 それはどこの…。
ここが中心で?
それともあちこちにおられたんですか?
長 あちこちにいたのだが、その当時は、やはりそういう役割の者があちこちにいた。
そして一箇所ではなかった。
吉野であったり、大和… 大和国であったり。
内山 やっぱり大和国って、あったんですね?
長 あった。そして… ヒュウガという…。
内山 日向ですね。
長 うん。
にもあった。
内山 日向の里というんですかね?
長 おそらく、今の地名と合致していない。
内山 そうですね。
長 ので分かりにくいが…。
うん。あった。
今いうところの、この九州という中に、点々として動いた者がある。
そして東にもある。
ここよりずっと東にもあった。
内山 そういった所に、いろいろな所に「巫女さん」といって、その巫女が「卑弥呼」と呼ばれたんですかね?
長 そうだな。
内山 一人の名前ではなくて、幾人もの名前でしょうか?
それとも誰か一人ってことなんでしょうか?
その当時… 誰でも同じ名前を使うのか分かりませんけども、どのような存在と思ったらよろしいでしょうか?
長 この大和の国を治める王としての者はいたと。
内山 九州、熊本の方ですね。
阿蘇の近くの。
長 いた。しかし、その役割の者は動いていたので。
内山 動いていましたね。あちこち行ってましたね。
長 そう。
なので一箇所ではない…。
一箇所ではない。
そして長い期間に、やはりその仕事、役割を受け継ぐ者が出てきているのでその名が残り、そしてあらゆる所にいたという話になっていると思う。
内山 役職名として残っているわけですね。
長 うーん…。
そういうことになる。
内山 御中主尊とか、そんな感じですかね?
長 そういうことになる。
内山 巫女も卑弥呼として役職名になるんでしょうか?
長 名前というよりは役職名。
うーん、そうだな。
内山 そういったことをやる者といいますかね。
長 そういうことだな。
内山 分かりました。
柔らかく、皆さん、なんとなく繋がりもある、協力関係もあるという感じで、大和の国とかそういった所で、みんなで仲良く交流しながらやる平和な時代があったということですね。
その後ですね? 戦いが起きたんですね。
長 そういうことだな。
内山 それを治めるべきとして、また大和の国が動いたってことでしょうかね?
長 そうだな。
内山 何か私たちに…。
何を聞いても分からないことばっかりなんですけども、何か伝えておきたいことはございますでしょうか?
長 まあ、今の時代にあっては…。
昔、私が生きていた頃とは大きく時代が違うので、何を伝えるといっても本質的なことを伝える以外に伝える意味がない。
なので、それはもう既に一人びとりの心の中にあるもの、目に見えぬもの、こういった、物の本質を伝える以外に残せるものはないと思う。
姿形のあるものや、何かその当時便利であったものが、今となっては何の役にも立たないものばかりで、そういった意味で伝えるものはほとんどない。
ただ心としては"大和の心"ということを伝えたいと思う。
それは人を思いやる心であるし、優しさ、慈しみ、こういった心であるということだ。
これが延々とこれまでに受け継いできたものであるし、今現在でも通用する心だと思う。
親が子を思う心、また子が親を慕う心。そういったものの集まりで世の中ができている。
国ができている。
そして、この国を守りたいという思いが湧いてくるという根本のところだと思う。
昔は村の中で生まれた子どもたちは、村の中全体で育て育んだわけである。なので、村の中を守るということは非常に大切なことであった。
全員が家族同様であるということである。
だからこそ、その村単位の社会というものが長く続き、よそ者を寄せ付けないという考えが出てきたのだと思うし「他の隣の村の物は略奪したり、侵したりしてもよいのだ」といったことができる文化があった。
その村というものの単位が、小さかったところから、徐々に大きくなってきていると思う。
そしてそれが今度は分裂して「家族」という小さな単位に今現在なってしまっているが、本来はこれらが集まった社会というものが、一つの単位として守られるべきものであったということである。
なので、これを守っていくということは、先祖代々、子々孫々に至るまで長く、長きに渡って繋がってきた考え方である。
それはやはり「理屈を越えて守り抜いていきたい」と思うところである。
内山 ありがとうございます。
そうですね、私の小さい時も、その残り香といいますか、村で大人が子どもたちを叱ったりとか、どこの子どもも関係なく叱ったり、教えてくれたりとかしました。
そうやって組となってやったりとか、田植えの時の組とかが残ったりしてました。
とってもいい時代だったと思います。
そういった和の心ですね。
分かりました、ありがとうございます。
しっかりまたその心を残すような国をつくっていきたいと思います。
よろしくお願いします。
最後ですけども、長(オサ)のことを普通は「長(オサ)の神」と言ってたんでしょうか?
それともただ「長(オサ)」だけじゃなかったと思うんですけど、どのように呼んでたんでしょうか?
長 うーん。
皆から呼ばれていた時は、呼び名がいろいろあった。
「チョウ」という言い方もあるし、「チャンジャ」とも言った。
内山 「チャンジャ」。
長 「チョウジャ」と。
内山 「長者」と書いて「チャンジャ」。
長 とも言ったし、「オサ」「ヌシ」など、いろいろな呼び方があった。
内山 「神」という言葉は使わなかったんですか?
長 「神」は私のいた時には、そのような言い方はしなかった。
内山 別におられたってことですね。
長 うん。
史歴調査 File2 卑弥呼様を霊査
内山 私たちも卑弥呼様の正体がなかなか分からずに、どこにおられたかも分からずに、みんな知りたいわけですけども、どのように考えたらよいか教えていただければと思います。
卑弥呼 もともとの私が生まれた所というのは… 阿蘇。
内山 阿蘇。
卑弥呼 麓でありますけれども、そこから、あちこちへまいりました。
そして本州にもおりました。
今でいう本州ですね。
にもおりましたし、海を渡って移動したのを覚えています。
しかしそれは、そういった時期があったということでありますけれども、訪ねて回ったことがあるということなのです。
本来の場所、いや、それは言い方としては適切ではありません。
比較的長い間、滞在した場所として大和の国ですね。
いたと思います。
内山 大和の国といいますと、どこら辺になりますでしょう?
九州ではなく本州の方になりますかね?
卑弥呼 はい。
内山 奈良…
卑弥呼 奈良ですね。
内山 奈良の里ですね。入鹿がいる所かな。
卑弥呼 そうですね。桜の綺麗な所です。
吉野… 奈良の吉野にもありましたね。
そういった所を…
内山 長くおられたんですね。
卑弥呼 比較的いたと思います。
もちろん九州にもいましたし、四国にも渡りました。
なぜならば、これらをやはり、治めるという意味で必要があったから、長い移動があったのです。
そして一度でも訪ねたということがあれば、そこに印を残すことができるということで、一ヵ所に留まるということはなく、あちこちにいたということで、自らの、その影響を与える範囲というものを広げるために、いろいろと歩き渡り、移動していったということが言えるんです。
そういった意味では、どこにいたのかということが今、もう分からなくなるほど、勢力が広がっていたという意味では成功していたということです。
内山 時代的には5千年ぐらい前になるんでしょうか?
卑弥呼 私にははっきり分からないのですが。
内山 ちょうどその頃、須佐之男尊が、九州の阿蘇の麓からこの九州を平定して、本州の方に上がっていって、そして大和の国に行ったと思うんですけども、それと一緒に行かれたということなんでしょうか ?
卑弥呼 近いですね、非常に。
共に流れたということは言えます。
内山 その時に、天照も一緒にいたかと思うんですけども。
ということは一緒におられたということですかね?
天照と。
卑弥呼 うーん…。一緒にいたのですが…。
内山 あっ、そうか。途中から行きませんでしたよね?
九州から出てませんよね?
卑弥呼 そうなのです.。
天照… 天照…。
内山 櫛名田比売ですね。九州から出てませんね。
卑弥呼 櫛名田比売は九州からは出ていないことになっておりますが、天照としては出ております。
内山 霊的に?
卑弥呼 いや、肉体でも出ました。
内山 出ておられるんですね。
卑弥呼 はい、出ました。
そして、今ある出雲を通り、伊勢まで行きましたので、行っております。
内山 それとほぼ一緒ということでいいんでしょうかね?
それとまた違うんでしょうかね?
卑弥呼 うん…。
内山 ダブってるんですかね?
同じ人 、同じ魂になるんですかね?
卑弥呼 天照と卑弥呼は、同じ魂のようでありながら、少々役割が違いました。
そして、ある意味表と裏のような、そんな役割分担といった面がありました。それを使い分けるということは、していたのかもしれません。
私の記憶が少し途切れています。
内山 なるほど。そういう使い方されてたんですね。
卑弥呼 はい。
内山 神大市比売、要するに、木花咲耶姫系統とは違うということですね?
同じ魂なんだけど、表と裏でやってたってことでいいんですかね?
卑弥呼 そうですね.。
時代が違ったというのもあるんですが、非常に古い時代の太陽神を地上に現した姿と、そして、交易など海外とのやり取りのあった時代の現れ方というのがあり、これが扱われ方が変わっていたということですね。
内山 要するに、霊言している時の内容が違うということですか?
そんな感じではまた違うんですか?
天照というのはものすごく古い、もっと古いというように話を聞いてるんですね。
霊言に出てきた時の魂として、天照っていうのがあったような感じがするんですけど。
卑弥呼 うんうん。
天照は、肉体を持った存在と霊的な存在と、どちらも天照として残っていると思います。
なので、説明が難しくなるように思います。
内山 櫛名田比売が天照として出てくる時もあるんですね?
肉体として。
卑弥呼 うん。
内山 霊的にも出てくる。
卑弥呼 両方出てくる 。
内山 櫛名田比売もいると。
また卑弥呼としても出てくるということですね。
卑弥呼 そうです。
その時々の役割があり、それに応じた形で出ている。
内山 そういった意味での、役割の名前ということですね。
卑弥呼 そうですね。
内山 じゃあ同じ魂…、いろんな魂がその名前を引き継ぐということじゃなかったんですね?
卑弥呼 それは何ともいえないところがあり、時代を越えて、またその名を受け継いでいくということもあった。
内山 転生もありますからね。
卑弥呼 そうです、そうです。
内山 分かりました。ありがとうございます。
今また霊性の時代というのが始まろうとしています。
そして、巫女さんたちが非常に多く出始めております。
これに対して何か、私たちにお言葉を頂ければと思います。
よろしくお願いします。
卑弥呼 今の時代の巫女たちというのは、ある意味、小さく分散した天照という言い方もできます。
これが、さらに時代が下った時に、天照がどこにいたのか?
と聞かれると、様々な地域に存在していたという証拠が残っていたとしたならば、今、あなた方が分からないと言っているのと同じことが、後の世に起きるということになります。
そういう観点から考えていただくと、天照としての仕事を自らの使命としてやっている者たちが、そこここに存在するということは言えるのです。
今やっていることが、天照として後に残るという、そういうことになろうかと思いますので、そのくらいの気概を持って巫女としての仕事をしていただければと思います。
霊言終了後の会話
内山 質問のしようがないですね。
エレナ 難しいですね、これね。
聞く方も難しいし、答える方も難しい。
内山 でも、よく分かったよね。
エレナ よく分かった? 本当? 後で教えてね。
内山 あちこち転がっちゃうってことかな?
エレナ でも概念としたら、ずーっと長い、人間の寿命よりも、もっと長い年月にわたって存在したっていう記憶がパラパラあって、それが天照っていう名前だったり、卑弥呼っていう名前だったり、いろいろする。
内山 だから霊的存在としての天照。
だから神様としてある程度ね。
巫女としての仕事をする神様と思ったらいいね。
エレナ 神様としての天照の意識を降ろすのが卑弥呼だったのか…
内山 うん、そういうこと。
でもっと、そういうことができる人たち。
巫女だよ。
質問者A いっぱいおられたってことですか?
エレナ ということですね。
内山 仕事としてはね。
天照っていうのはもともと、櫛名田比売が降ろしたのが天照ですね。
魂は天照として、転生ですね。
だから自分の転生の、過去の名前ですね。
エレナ 過去の転生の名前を…
内山 天照という。
史歴調査 File3 蛤岳の頂上に位置する蛤岩を霊査
内山 蛤岩というのが近くにあるみたいなんですけども、大きな岩で、綺麗に割れているから、そういうふうにいわれているんですけれども、この岩には何かいわれみたいなのがございますでしょうか?
巫女 はい、ございます。
内山 じゃあ、教えてください。よろしくお願いします。
巫女 この岩は、「人類の繁栄」を象徴しております。
つまり女性が子を産むという意味で、女性を象徴した岩です。
それによって「子孫繁栄」ということが、願いとして込められている。
そういう岩になります。
なので 多くの人々がここを訪れ、そして子孫繁栄を祈り、または、そういうことを知らずとも、ここに訪れることによって、そのパワーを授かるといったようなことがあります。
そういう意味合いを持っております。
内山 これは、その岩に神が宿ったというような感じで考えてよろしいんでしょうか?
巫女 はい。
そのように思っていただいてもよいと思いますが、岩そのものに宿るというか… そうですね。
内山 岩そのもののパワーってことなんでしょうか?
巫女 そうですね。
パワーがありますし、「子孫の繁栄」という願いが込められているということですね。
内山 込められている。
巫女 はい。
ですから、繁栄いたしますようにという"祈り"ですね。
その力があるということです。
内山 そういう存在として創られたということなんでしょうか?
それともそういう存在に、思いを向けたことによってできたということなんでしょうか?
巫女 両方なんですが、突如、その大きな岩があるというには、それなりの理由があるわけで。
この地にそういう力を持った岩を置くということが、初めに行われたわけです。
その時に願いを込めて置いたということですね。
内山 神々が山を司る時に、「子孫繁栄」の願いを現した所という感じで
巫女 そうです 。
内山 よろしいですかね。
巫女 はい。
内山 それでずっと今も続いていると。
巫女 続いております。
内山 神聖な場所なんですね。
巫女 そうです。
多くの人々はそれを知りません。
知りませんが、そういう場所です。
内山 それがあることによって、この地域全体が繁栄していくということでよろしいでしょうか?
巫女 はい、そうです。
内山 それは、この地球というか、九州全部と思っていいんですか?
それとも地球のという意味でよろしいでしょうか?
巫女 地球全体とまでは言えないかもしれませんが、少なくともそうですね、この九州の地は特に守られていると思います。
内山 元気な所で、ですね。
巫女 はい。
内山 逆に男性のエネルギーを持つ所も、やっぱり違う所にあるということですね?
巫女 はい。
内山 そんな所がどこか見つかるでしょうね。
巫女 はい。
内山 この佐賀の地は、女性のエネルギーの強い所ということですね?
巫女 強いですね。
内山 どういった特徴…。
佐賀に住む女性として、どういうことに気をつけながら生きたらいいでしょうか?
巫女 やはり女性としてのある意味力強さ、忍耐強さ、しなやかな強さでありながら、優しさの両方を併せ持つという特徴がありますので、人生としては、比較的それを苦労だと感じる方も多いでしょう。
耐える力というものを持っているので、それは苦労が多いと感じる方もあるかもしれません。
しかし それはむしろ女性としての力を開いていくだけのものを持っているという言い方もできますし、非常に祝福された人々であるといってよいと思います。
三次元的に現れる形・姿としては、母として妻として、忍耐強く家族を支える、街を支えるといったような、そういう底力のある人々が多いです。
元気のある人も非常に多いし、静かに忍耐強く頑張る女性も多いと思います。
内山 「静かに忍耐強く」というのはそんな感じですね。
巫女 はい。



コメント