

ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~橘樹神社~
橘樹神社の鳥居 千葉県茂原市本納にある橘樹(たちばな)神社は、ヤマトタケルノミコト一行が、荒れ狂う走水の海を渡ろうとしたとき、妻の弟橘媛命が入水し海を鎮ることで、上総へ渡ることができました。その七日後、弟橘媛命の櫛が岸に流れ着きました。その櫛を壺に納め、御陵を造り、橘樹の樹を2本植えて祀ったのが創建の由来とされています。 橘樹神社三連の鳥居 鳥居をくぐると、さらに鳥居が続きます。 境内 右側に社務所、左側に手水舎があり、中央に拝殿が見えてきます。 境内は、橘樹の樹が各所に植えてあり、女性的な雰囲気がする、とても優しい空間であり、心が安らぐ神社でありました。橘の樹はミカン科の植物で、小さな緑の実がたくさんなっていました。柵に囲まれている樹が橘の樹です。 拝殿 優しい雰囲気の漂う拝殿です。 本殿 拝殿の奥に本殿があります。本殿の後ろには、弟橘媛の櫛を納めた壺が埋まっている御陵があるそうです。 境内の様子 境内には、2匹の猫がいました。この子はのんびりと境内を歩いていました。もう一匹の黒猫はお昼寝中でした。ここの神社だけ時間が止まっているような感じでし
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9月8日読了時間: 1分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~富津岬~
富津岬 ヤマトタケルノミコト一行が、相模から上総に渡った海であり、弟橘媛が入水されたとされる海が見える千葉県富津市富津地先にある富津(ふっつ)岬です。ここは、房総半島の東京湾側先端に位置します。 富津岬展望台 富津岬の先端には、海が一望できる大きい展望台があります。展望台からは、対岸の陸地を見ることができます。 展望台の頂上 展望台の頂上です。かなり海風が強かったです。頂上の展望台の中心には、案内板があります。 展望台頂上からの景色 展望台からは、東京湾(向かって左側の海)が見えます。左下に見えるのは、富津岬の駐車場です。右側の海は、浦賀水道(走水の海)です。 富津岬の先端 富津岬の先端です。奥に見える島は、第一海堡という軍用の島だそうです。 富津岬の向かって右側の海が東京湾。左側の海が浦賀水道(走水の海)です。 東京湾 東京湾です。 浦賀水道(走水の海)側の海 浦賀水道(走水の海)側の海です。 奥に見える島が走水神社がある三浦半島です。 富津岬の先端 富津岬の先端から見える景色です。 富津岬の波の音 富津岬の波の音です。少し浦賀水道(走水)の海
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9月8日読了時間: 2分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~吾妻神社~
吾妻神社の鳥居 千葉県木更津市吾妻にある吾妻(あずま)神社は、弟橘媛をお祀りしています。ヤマトタケルノミコト東征の東征の折、相模から上総へ渡ろうとした時に海上が荒れ、海に身を投じた弟橘媛の袖が数日後この近くの海岸に漂着したので、これを納めたのが創建の由来とされています。 県道87号線の車の往来がある道路沿いにありました。左側には駐車場があります。 また、昔、この場所に吾妻の森があり、森の中心に水がきれいに澄んだ形の良い池がありました。ヤマトタケルノミコトや従者たちはその池の水で喉を潤し、水面を鏡の代わりにし、疲れ果てた己の姿を見て、身なりを整えたとされます。また、弟橘媛が使った鏡を沈めたとも伝えられる池、「鏡ヶ池」が敷地内にあります。 境内 鳥居から真っ直ぐ進むと、奥に本殿が見えてきます。 本殿 短い階段を登ると本殿に来ます。小さな本殿ですが、道路沿いの割に静かで、心が落ち着く神社です。 鏡ヶ池 本殿の向かって右側へ進むと、「鏡ヶ池」があります。 奥には、東屋があり、池を見ながらゆっくりとやすむことができます。 吾妻神社:千葉県木更津市吾妻 #シ
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9月8日読了時間: 1分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~姉埼神社~
姉埼神社の鳥居 千葉県市原市姉崎にある姉埼(あねさき)神社は、ヤマトタケルノミコトの東征の折、走水の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘媛の入水によって、無事上総の地に着くことができました。その弟橘媛を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風の神・支那斗弁命(しなとべのみこと)を祀ったのが創始と伝えられます。その後、第十二代景行天皇がこの地を訪れ、ヤマトタケルノミコトの霊を祀ったそうです。 駐車場のすぐ目の前に鳥居があります。 境内 左側は社務所。右側が拝殿です。 拝殿 厳かな雰囲気のする立派な拝殿でした。 交通安全のお守りをいただきました。 姉埼神社:千葉県市原市姉崎 #シモン
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9月8日読了時間: 1分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~走水神社~
走水神社の鳥居 神奈川県横須賀市走水にある走水(はしりみず)神社は、幅の狭い道沿いに面したところに鳥居があります。ヤマトタケルノミコトが上総に向かう際に土地の人に与えた冠を石櫃(いしびつ)に収め、土中に埋めて、その上に社を建てたのが走水神社のはじまりとされています。 走水神社の地名となっている走水とは、現在の浦賀水道のこととされ、三浦半島と房総半島を結ぶこの水道は、海流が走るように速いことから名付けられた地名といわれています。 境内 右側には社務所。左側には手水舎。中央の階段は、社殿に向かう階段です。 社殿 社殿から見える浦賀水道の海 社殿から振り返ると、美しい浦賀水道の海(走水の海)が見えます。 社殿の隣には、別宮があり、別宮の奥に見える階段を登っていくと、弟橘媛の記念碑や旧稲荷社などがあります。 弟橘媛の記念碑 弟橘媛が入水した時に詠んだとされる歌が刻まれている記念碑。ここは、パワースポットと言われている場所だそうです。 古代稲荷社跡 旧稲荷社、ヤマトタケル一行が東征成功の祈願をしたと伝えられているそうです。 さらにここより上に登っていくと、
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9月8日読了時間: 2分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~三峯神社~
埼玉県秩父市にある三峯(みつみね)神社は、ヤマトタケルノミコトが我が国の平和をお祈りし、国産みの神様である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが創建の由来とされています。 三峯神社鳥居 三峯神社駐車場の奥にある階段を登り、しばらく歩くと鳥居が見えてきます。 鳥居の前で拝礼し、さらに歩きます。 参道 鳥居をくぐってから、緩やかな坂道になっている参道を歩きます。 隋神門 三峯神社の「隋神門」が見えてきす。表参道からこの「隋神門」を通るのが古来の正参道なのだそうです。ここをくぐると長く緩やかな階段が続きます。 参道 「隋神門」をくぐると長く緩やかな階段と参道が続きます。 拝殿に続く階段の前に到着しました。左側通行で階段を登り、拝礼して青銅鳥居をくぐります。 手水舎 手水舎です。ここで口と手を清めます。 拝殿 拝殿に来ました。この奥に伊弉諾尊、伊弉冉尊をお祀りしている本殿があります。ここで拝礼をし、お祈りをさせていただきました。 拝殿の横には、「祖霊社」「国常立神社」「日本武神社」が祀られていました。 中央が「国常立神
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9月8日読了時間: 2分


ヤマトタケルノミコトの軌跡を辿る~金鑚神社~
金鑚神社鳥居 埼玉県児玉郡神川町にある金鑚(かなさな)神社は、ヤマトタケルノミコトが東征に向かう途中、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石(火鑚金)を御霊代として、この地の御嶽山に奉納し、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀ったのが始まりとされている神社です。 義家橋 鳥居を抜けてしばらく歩くと源頼義、義家が架けたとされる橋に来ます。 奥に見える鳥居を抜けると左手に手水舎が見えてきます。 手水舎 手水舎です。ここで口と手を清めます。 拝殿 拝殿です。ここで拝礼をし、お祈りをさせていただきました。 多くの木に囲まれ、鳥の声や木々の音が聞こえてくるとても穏やかなところでした。 手前は、拝殿。奥に見えるのは、神饌所。 この先にヤマトタケルノミコトの石像があり、奥の展望台からは、火鑚金を奉納したとされる御嶽山が展望でき奥宮があります。 「火打守」、参拝の記念にいただきました。 火打守です。家の四方に向かい火を打ちかけて、災難除、防火の清め火として奉斎くださいとありました。実際に火花が出ます。社務所でご奉納していただくことができます。 金鑚神社:埼
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9月8日読了時間: 1分


ヤマトタケルノミコト
まずは、日本人であれば一度はその名を耳にしたことがある、なじみ深い偉人を一人取り上げ、その歩みをひも解いてみたいと思います。 神社などに祀られている存在として、その名を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。 後世へと語り継がれてきた、この偉人の歴史、そしてその実像とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。 彼が生きたのはいかなる時代であり、その中でどのような思いで人生を歩んだのでしょうか。 さらに、どんな生き方を選択し、その心の内には、いかなる宗教観や考えを抱いていたのでしょうか。 はじめに、『古事記』や『日本書紀』に登場するヤマトタケルノミコトの姿を簡潔にまとめたものを、お伝えいたします。 ヤマトタケルノミコトは、第十二代、景行(けいこう)天皇の皇子として生まれ、若くして優れた勇気と武力を示しました。幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、わずか十六歳の時に父である景行天皇の命を受け、九州の熊襲(くまそ)を討つために征西に旅立ちました。小碓命は、熊襲の宴に忍び込み、油断した首長を討ち取ります。この勇敢さを称えられ、「ヤマトタケル」の
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9月8日読了時間: 4分


一般財団法人エル財団、歴史調査活動について
日本人は、ほかの国々の人々にはあまり見られない特徴を持つ民族であるとも言われています。 海外から日本を訪れた方々からは、「礼儀正しさ」「思いやりの心」「おもてなしの心」「誠実さ」「正確さ」など、日本人ならではの特質に驚きや感銘の声が寄せられることがあります。 では、そうした心の中にある「核」となるもの、そして、その根底にある「教え」は、いったいどこにあるのでしょうか。 ここでは、日本人のルーツともいえる日本の神々や偉人の歴史を調査し、その歩みをたどることで、私たち日本人の心の奥に受け継がれてきた精神や価値観について、ひも解いていきたいと思います。 また、『古事記』『日本書紀』よりも以前の時代について記されているとされる古代文献『ホツマツタヱ』に登場する「天御祖神」という神の存在に着目し、日本の神々とのつながり、さらには日本人の心の核となる「教え」について探っていきたいと考えています。 現在残されている一般的な文献だけでは知ることのできない歴史に目を向け、今の私たちにはまだ見えていない歴史の姿を探ってまいります。 そして、こうした活動を通して、皆様
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8月25日読了時間: 2分


天御祖神様から未来創造への霊言をいただきました
2026年7月27日のYoutubeチャンネル「内山弘一のThe GODチャンネル」、霊言ニュースにて、天御祖神様から未来創造についてのお言葉をいただきました。 今回のお言葉は、エル財団の理念そのものとも言えるもので、未来を切り拓く思い、心の力について説かれています。ぜひ、お聴きください。
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7月28日読了時間: 1分


一般財団法人エル財団 活動報告と予告 (2026.06.16現在)
2026年発刊予定書籍 書籍の詳細はこちら 書籍の詳細はこちら 現在エル財団では、「歴史の調査」に特に力を入れて取り組んでおります。 2026年に行った活動の一部をご報告いたします。 歴史調査 一覧 熊本県日奈久にある市杵島姫の言い伝えについて 調査日:2026年3月7日 調査場所:熊本県八代市日奈久 温泉神社にて お言葉をいただいた神様 市杵島姫:須佐之男尊の娘 近日 霊言公開予定 吉野ヶ里遺跡を霊査 File1~3 調査日:2026年3月13日 調査場所:佐賀県神埼郡 吉野ヶ里歴史公園 詳細はこちら 武雄神社を霊査 File4~8 調査日:2026年3月14日 調査場所:佐賀県武雄市 武雄神社 詳細はこちら 蘇我入鹿様より書籍を降ろしていただく 『蘇我入鹿の使命論』~入鹿の生涯と、その後の使命~ 調査日時:2026年4月2日~4月5日 調査場所:奈良県明日香村周辺 2026年書籍発刊予定 詳細はこちら 日本の神々のお心を探る 調査日:2026年5月1日、5月2日 調査場所 〇可愛山陵(ニニギノミコトの御陵) 〇高屋山上陵(ヤマサチヒコ/
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6月16日読了時間: 3分


天御祖神様からのお言葉、新書籍『新しき未来文明の樹立』を収録してきました。
調査日時:2026年5月28日~5月30日 調査目的:日本神道や世界の宗教は教えが形骸化している現状があり、本来の教えが分からなくなっている。そこで、約三万年ほど前、富士山の麓に栄えていたとされる富士王朝、および富士王朝を作られた天御祖神の教えを霊的に調査し、本来の教えとは何であったのかを探る。 調査場所:箱根強羅 天御祖神様よりお言葉を賜り、新書籍『新しき未来文明の樹立』を収録してまいりました。 書籍の目次を、報告いたします。 はじめに 1御祖の降り立つとき 2混然一体となった世界 3「分」ということについて 4「節」について 5もとになる骨格 6少年の心にみる繁栄の心 7使命に生きるということ 8光の柱が立つとき 9「美」それを求め神は忍耐す 10水色の魂の意味 11レモンイエローと青の世界 12様々な色合いの世界 13虹の橋 14人間の持つ本来の姿と能力 15天上界の仕事をなす者 16水の意味と天からの宝物 17地球のオーラと運命 18富士山を愛でる者の心理 19竜宮界 20阿蘇の存在と海 21エル・カンターレという名の文明 22新たなる文
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6月1日読了時間: 2分


【史歴調査②】報告書 武雄神社を霊査
史歴調査 File4~8 収録日:2026年3月14日 収録場所:武雄神社 〒843-0022 佐賀県武雄市武雄町大字武雄5327 ■電話番号.0954-22-2976 / ■FAX番号.0954-22-3517 史歴調査 File4 武雄神社、御船山について霊査 史歴調査 File5 佐賀 武雄 樹齢3千年のオークスを霊査 史歴調査 File6 佐賀を調査することになった経緯について 史歴調査 File7 武雄神社にある稲荷神社を霊査 史歴調査 File8 稲荷の神様 史歴調査 File4 武雄神社、御船山について霊査 内山 今、この佐賀の地の武雄におられるわけなんですけども、この土地に対して何か私たちに一言お言葉頂ければと思います。 よろしくお願いします。 須佐之男尊 ようやく、ここに来ることができた。 それを嬉しく思う。 ここは見ての通り高台にあって、街が一望できる所にある。 太古の昔より、この国の人々の様子を見てきたものだ。 朝日が昇り、風が吹き、人々が行き交う姿を見てきた。 そして、その喜びを人々が、感謝とともに
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5月14日読了時間: 9分


【史歴調査①】報告書 吉野ヶ里遺跡を霊査
史歴調査 File1~3 収録日:2026年3月13日 収録場所:吉野ヶ里歴史公園 〒842-0035 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843 主のお言葉 史歴調査 File1 吉野ヶ里地域を治めていた長(オサ)様 史歴調査 File2 卑弥呼様を霊査 史歴調査 File3 蛤岳の頂上に位置する蛤岩を調査 主のお言葉 内山 ここから日本の歴史を遡っていきたいと思っています。 どのようなことに心がけながら、やっていったらよろしいでしょうか? 主 だから全体的な歴史というものを調べようという意図でやっているわけでしょう? なので、既存のね、知識・情報、そういったものにあまりとらわれず、オリジナルでね、探究するというつもりでやってください。 正確にね、取れるものがあるかどうか分かりませんけれどもね。ずいぶん昔の話だろうからね。 なので、分からなくても普通。というぐらいの気持ちでやったらいいと思います。 一般的に言われているような歴史の情報ね、あるいは知識といったものにね、あまりとらわれると分からなくなるんでね。いったんそれはもう脇へ置いて
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5月13日読了時間: 24分


知覧特攻基地戦没者慰霊祭に参列いたしました
2026年5月3日、鹿児島県南九州市・知覧にて執り行われた「第72回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に参列いたしました。 知覧には、日本の未来を願い、国や家族を守るために出撃していった特攻隊員たちの思いが、今も残されています。 現在の日本では、自虐史観に基づく歴史教育の影響もあり、第二次世界大戦について、「日本による侵略戦争」という一面的な見方でのみ語られることが少なくありません。 また、特攻隊員についても、自爆テロと同一視するような風潮さえ見受けられます。 しかし、欧米に侵食されたアジア解放を掲げた大東亜戦争、そして命を懸けて出撃していった特攻隊員たちの思いについて、現代の日本人は改めて知る必要があるのではないでしょうか。 慰霊祭式典の直前には、慰霊祭の開催に尽力され、内山弘一とも親交のあった地頭薗盛雄(じとうぞの もりお)様の霊言収録も行われました。 地頭薗 盛雄様:元陸軍の特攻隊員であり、特攻隊員として出撃されましたが、出撃後に終戦を迎えられました。 知覧特攻平和会館で毎年、全国各地から人々が集まり、特攻隊員の御霊を慰霊する「知覧特攻基地戦没者慰
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5月8日読了時間: 2分


蘇我入鹿様からのお言葉、新書籍『蘇我入鹿の使命論』~入鹿の生涯と、その後の使命~を収録してきました。
調査日時:2026年4月2日~4月5日 調査目的:蘇我入鹿、聖徳太子、藤原不比等の時代に、日本の歴史が書き換えられた可能性がある。 実際は何が行われていたのか、霊言で調査を行い、その研究結果や語り降ろされた言葉を 書籍にて出版する。 調査場所:奈良県明日香村周辺 霊言一覧 蘇我蝦夷 蘇我馬子 織田信長 名前が分からない女性天皇 柿本人麻呂 柿本人麻呂 和歌の解説 藤原不比等 聖徳太子 ソメイ①概要 ソメイ②乙巳の変の真実 ソメイ③時空を超えた歴史 ソメイ④ソメイの悟り 須佐之男尊 推古天皇 蘇我入鹿①畿内巡り 蘇我入鹿②大臣着座の儀 蘇我入鹿③十七条憲法の成り立ち 蘇我入鹿④月の明かりと国を治めること 蘇我入鹿⑤頭痛の種と太子の御隠れ 蘇我入鹿⑥美しき秋の空 蘇我入鹿⑦妬みの始まり 蘇我入鹿⑧今生の時 蘇我入鹿⑨入鹿、死す 蘇我入鹿⑩使命、転換の時 蘇我入鹿⑪永遠の誓い 可能な限りすみやかに皆さまに書籍として発表できるよう、制作を進めてまいります。 なお、発売の時期は未定です。発売が近くなりましたら、内山弘一のThe GODチャンネルにてお知らせ
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4月7日読了時間: 1分


視察③-2 和歌山に行ってきました!
りら創造芸術高等学校の発祥となる神社へ参拝。
神々をお招きしました。
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2025年8月26日読了時間: 1分

