top of page

ヤマトタケルノミコト調査・収録旅のご報告

15 時間前
読了時間: 6分

一般財団法人エル財団、歴史部門におきまして、ヤマトタケルノミコト調査・収録のため、2026年9月3日(木)~6日(日)までの日程で、ヤマトタケルノミコトゆかりの地を巡ってきました。

今回の調査対象の史跡は、以下の通りです。


①伊吹山   (岐阜県不破郡関ケ原)

②居醒めの清水(滋賀県米原市)

③熱田神宮  (愛知県名古屋市)

④加佐登神社 (三重県鈴鹿市)

⑤能褒野神社 (三重県亀山市)

⑥忍山神社  (三重県亀山市)

⑦景行天皇陵 (奈良県天理市)

⑧纏向日代宮跡、大兵主神社(奈良県桜井市)



①伊吹山(いぶきさん、いぶきやま)

伊吹山は、古代から霊峰として崇められている標高1377mの山です。日本神話では、東征を終えたヤマトタケルノミコトが、故郷である大和へ帰還する途中、伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、その討伐に向かったとされています。すると山の神は雲を起こし、激しい雹を降らせました。毒気を含んだ雹に全身を打ち付けられたヤマトタケルノミコトは、「心惑い、酔えるがごとく」と表現されるほど心身が衰弱し、足元もおぼつかないまま、ふらつきながら下山したとされています。


伊吹山頂上に立つ、日本武尊像
伊吹山頂上に立つ、日本武尊像
到着時の頂上の様子
到着時の頂上の様子

伊吹山を調査に訪れた日は、雨が降り、山全体が濃い霧に包まれていました。車で登山口のある駐車場まで上がり、そこから頂上を目指して登りましたが、道中も雨と濃霧が続いていました。

ようやく頂上に到着したものの、霧は依然として立ち込めており、視界は非常に悪い状態でした。周囲の様子を十分に確認することも難しいほどで、あたり一面が白い霧に覆われていました。



下山時には、山を覆っていた霧が晴れ、視界が開けてきました。周辺の景色も徐々に見渡せるようになり、山々の姿や地形の表情を確認することができるようになりました。


山頂一帯の植物群は、国の天然記念物に指定されています。
山頂一帯の植物群は、国の天然記念物に指定されています。


②居醒めの清水(いさめのしみず)(玉倉部の清水ともいう)

日本神話では、伊吹山を下ったヤマトタケルノミコトは、清水が湧き出る場所で体を休め、どうにか正気を取り戻したとされています。しかし、体調が完全に回復することはなく、その後も症状は次第に悪化していきました。このときに体を休めたとされる清水が、居醒めの清水とされています。



醒ヶ井駅より居醒めの清水まで、片道およそ10分ほど歩いて立ち寄りました。到着までの道沿いには、古典的な建物が立ち並んでいました。左側の写真は、郵便局です。右側の写真は、加茂神社です。居醒めの清水は、この加茂神社に隣接しています。


居醒めの清水
居醒めの清水
居醒めの清水を見下ろすように立つ、日本武尊像。
居醒めの清水を見下ろすように立つ、日本武尊像。


③熱田神宮(あつたじんぐう)

ヤマトタケルノミコトが賊のだまし討ちに遭い、火に囲まれた際、携えていた草薙剣によって難を脱したと伝えられています。その草薙剣をご神体として祀っているのが、この熱田神宮です。


熱田神宮の本宮授与所
熱田神宮の本宮授与所
熱田神宮の本宮
熱田神宮の本宮

本宮に参拝をした後は、展示館「剣の宝庫 草薙館」に立ち寄り、展示されている日本刀の見事な出来栄えをじっくりと堪能してきました。


神宮内に放し飼いにされている鶏くん
神宮内に放し飼いにされている鶏くん

神宮内で放し飼いにされている鶏です。散歩中の鶏が近寄ってきましたので、内山さんが、挨拶をしました。



④加佐登神社(かさどじんじゃ)

加佐登神社は、ヤマトタケルノミコトが、死の間際まで持っていたとされる笠と杖をご神体として祀る神社です。


加佐登神社入口の鳥居
加佐登神社入口の鳥居

入口の鳥居をくぐり、長い階段が続く参道を登っていきます。


本殿までは、長い石段が続きます
本殿までは、長い石段が続きます

ずっと石を敷き詰めた階段と参道を登っていきます。


本殿前の鳥居
本殿前の鳥居

本殿前の鳥居に到着しました。

本殿に参拝いたしました。本殿には、ヤマトタケルノミコトがご祭神として祀られていました。



⑤能褒野神社(のぼのじんじゃ)

ヤマトタケルノミコトは、伊吹山を下った後も身体の状態が回復することなく、ついにこの地で力尽きたと伝えられています。この能褒野神社は、その亡骸が眠るとされる御墓の「能褒野大塚古墳」に隣接しており、ご祭神としてヤマトタケルノミコトが祀られています。



能褒野神社の入り口にある幅の広いの階段を登っていきます。御墓に向かう前に、本殿にて参拝をいたしました。


ヤマトタケルノミコト御墓への参道
ヤマトタケルノミコト御墓への参道

参拝の後は、ヤマトタケルノミコトの御墓へ向かいました。


ヤマトタケルノミコト御墓前
ヤマトタケルノミコト御墓前

ヤマトタケルノミコトの御墓前に到着し、拝礼いたしました。

ここに到着した折、ヤマトタケルノミコトがお言葉を下さいました。



⑥忍山神社(おしやまじんじゃ)

東征の折、ヤマトタケルノミコト一行が三浦半島から房総へ船で渡ろうとした際、海の神の怒りによって海が激しく荒れ、先へ進めなくなりました。

そこで、同行していた妃の弟橘媛は荒れ狂う海神を鎮めるため、自ら海に身を投じたと伝えられています。すると、それまで荒れていた海はたちまち静まり、一行は無事に舟を進めることができました。

この忍山神社は、その妃の弟橘媛の生家と伝えられている場所です。



入口の鳥居をくぐり、参道を進むと、奥に本殿があります。



参拝をいたしました。ここに到着した折、弟橘媛様がお言葉をくださいました。



⑦景行天皇陵(けいこうてんのうりょう)(渋谷向山古墳ともいう)

ヤマトタケルノミコトの父上にあたる第12代景行天皇が眠る景行天皇陵(渋谷向山古墳)。

こちらの古墳の形状は、前方後円墳です。


景行天皇陵
景行天皇陵

参拝後、景行天皇の古墳の周りを少し散策しました。古墳は、木々が繁るとても大きな前方後円墳でした。



⑧纏向日代宮跡(まきむくひしろのみやあと)、大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)

景行天皇が営んだ宮があったとされる伝承地にいってきました。この跡地からさらに、道沿いを歩くと、大兵主神社があります。

ここは、景行天皇一族(景行天皇や日本武尊、成務天皇など天皇御一家)が生活していた場所と伝えられています。


纏向日代宮跡地
纏向日代宮跡地

現在、宮の跡地には、かつてここに宮があったことを示す石碑と案内板、小さな祠が祀られているのみでした。



周辺は目立った建物もなく、静かで落ち着いた雰囲気が広がっていました。

纏向日代宮跡の前を通る道をさらに奥へ進んでいくと、大兵主神社があります。この一帯も、かつて景行天皇一族が生活していた場所と伝えられています。



大兵主神社へ向かいました。



大兵主神社は、木々が立ち並ぶ、自然豊かな場所にありました。



内山さんは、この階段を上り祠で参拝をしました。その時に、成務天皇の記憶を感じたみたいでした。

この場所は、景行天皇、日本武尊、成務天皇など景行天皇一族が生活していた場所のようでした。



◎おまけ◎

ここまで見てくださった方におまけ画像です。

JR亀山駅前広場にある、「日本武尊 弟橘媛 愛うるはし」の銅像を鑑賞してきました。亀山市名誉市民で文化勲章受章者の彫刻家 中村晋也さんが制作された銅像だそうです。





初日の伊吹山調査は、悪天候でした。その後も終日まで曇りや雨模様でしたが、無事、ヤマトタケルノミコト調査・収録旅を終えることができました。天御祖神様と日本の神々様、応援してくださっている皆様に、心より感謝申し上げます。




#シモン

コメント


bottom of page